9月6日 山口のヒロシマデー
2011年 09月 07日

〝山口のヒロシマデー〟とも呼ばれる第37回「原爆死没者追悼・平和式典」(主催=県原爆被爆者支援センターゆだ苑)が、山口市宮野江良で行われました。
太平洋戦争当時、広島の原爆で被爆した数多くの軍人が、山口市にあった山口陸軍病院に搬送されてきました。しかし、日々おびただしい数の人が亡くなっていき、火葬の煙は絶えることなくのぼり、身元もわからない遺骨は江良周辺に放置されたそうです。人々の記憶から消えかけていた1973年、平和行進を計画した山口大学生らが地元住民の話から発掘を行い、9月6日に10数体の遺骨を発見しました。翌年その地に石碑を設け、それから毎年追悼・平和式典が行われています。
式典は、県議会常任委員会と重なったため、戸倉本人は最初の10分ほどしか出席できなかったため、私が代理出席しました。
今年は東日本大震災による福島第一原発事故があったため、ゆだ苑の岩本晋理事長は「放射能被爆者を二度と生まないことを最大の目標にしてきた被爆者支援活動は大きく裏切られた」と非難し、「広島でも原爆について全く知らないという子どもがいる。一番怖いのは人々の無関心。放射能、核の恐ろしさについて、語り継いでいかなければいけない」とも話されていました。
山口県は広島、長崎につぎ被爆者健康手帳保有者の多い県です。放射能との戦いは、60年以上経った今も続いています。